はたらく人

Interview

イメージ

スタッフ 30代
社歴5年 愛知オフィス所属

中村 ルリ Ruri Nakamura

なぜ日本で働こうと思ったか

2歳のときに来日して父母がスリーエム(現UTスリーエム)で働いていたため、すっかり日本の暮らしになじんでいました。そのため、いったんブラジルに帰国したときも、機会があれば日本に戻りたいという気持ちでした。ブラジルではなかなか安定した収入が得られず、日系4世の「特定活動」ビザが取れるようになったときに日本に戻ることにしました。やっぱり日本の方が好きですね、文化も食べ物も季節も。

現在の仕事内容

はじめはカメラの交換レンズのラインで、管理者のサポートをしていました。チームメンバーのサポートや入社した人への教育を担当し、その後はもっと小さいレンズの工程作業へ移っています。ブラジルから初めて日本に来た人の役に立てていると実感したときにやりがいを感じます。

UTスリーエムで働いてよかったこと

仕事はもちろん、生活の面でもサポートがあることです。病院にも連れていってくれるし、悩みごとも聞いてくれるのでとても助かりました。

イメージ
イメージ

リーダー 20代
社歴2年 愛知オフィス所属

知念 ジュリア Juria Chinen

なぜ日本で働こうと思ったか

ブラジル生まれですが、5歳からずっと日本で育ちました。そのため、就職も日本で携帯ショップとカーディーラーで働いていました。実家を出ていて、友だちもみんな日本人でポルトガル語を使う機会がほぼなくなってしまったため、ポルトガル語を使える仕事で、ブラジルの方とも接することができる機会を探したところ、両親ともスリーエム(現UTスリーエム)で働いていたこともあり、私もUTスリーエムで働こうと思いました。

現在の仕事内容

大手機械メーカーの工場で生産ラインの立ち上げを担当しています。まずは自分でラインの仕事を一通り覚えて、今はスタッフが揃った段階になり、リーダーとしてマネジメントを担当しています。現場に常駐して、欠勤があればサポートでラインに入ります。何も分からない状況から始めて、ラインがかたちになってきた達成感を感じています。

今後のキャリア

今は現場には男性が多いですが、女性もキャリアを積んでいけることを示してロールモデルになりたいと思っています。そのために、仕事が大変で落ち込むことがあっても、目の前のことをとにかくがんばることを大事にしています。

イメージ
イメージ

統括リーダー 30代
社歴10年 愛知第二オフィス所属

緒方 和雄 Kazuo Ogata

なぜ日本で働こうと思ったか

初めて日本に来たのは3歳の頃で、18歳のとき家族と一緒にブラジルへ帰国。私の場合、ポルトガル語をしゃべれなかったため3年ほどスーパーで働いてポルトガル語を覚えてから、工場や貿易会社で仕事をして、そのあと日本に戻ってきました。スーパーで働いていたときに強盗被害に遭ったこともあって、日本の治安のよさをあらためて実感したのが大きな理由ですね。

現在の仕事内容

各現場にいる工程管理者を統括するリーダーを務めています。現場で勤務していた頃は指示書通りに作業することに注力して、設備に対する理解度や、製品をつくるための効率化を考えるところが磨かれていました。今の立場で最も大事なのは対人スキル。ときには思うようにいかないこともありますが、日々スタッフと向き合っています。

今後のキャリア

現場において、日々UTスリーエムの人員が増えること、目に見えるかたちで業績が上がっていくことを感じられるのは、今の立場になったからこそだと思います。まずは今の現場をより大きくしたい、一番大きい工程を任せてもらえるようにしたいと考えています。

イメージ

Cross Talk

  • 粟津ジュリオJurio Awazu

    日系3世ブラジル人。15歳からさまざまな仕事を経験、航空学校のインストラクターも務めた。1991年、初来日。2年間製造業務に従事したのち、帰国。2003年、2度目の来日からUTスリーエム(当時スリーエム)愛知オフィスに所属。電子機器メーカーの業務に従事し、不良要因の解析を担当。2004年から鷹野ロサンジェラさんとパートナーに。

  • 鷹野 ロサンジェラRosangela Takano

    日系3世ブラジル人。建築家の父に憧れ、ブラジルの大学で建築を学びながら設計事務所ではたらく。景気の悪化で仕事を失い、大学も中退。弟に誘われて2001年、来日。栃木県で自動車部品の製造業務に従事。2002年、UTスリーエム(当時スリーエム)に転職以来、電子機器メーカーで製品の検査業務に従事。2004年からジュリオさんとパートナーに。

ロサンジェラロサンジェラ

日本に来て最初に勤めた会社は、日系人へのサポートを全然してくれなかったんです。その環境が好きになれなくて、1年ほどはたらいて渡航費立替金を返済すると、すぐに兄弟を頼って栃木から愛知に引越しました。そして、スリーエム(現UTスリーエム)を紹介してもらったんです。

ジュリオジュリオ

僕も最初の来日に、良い思い出はありません。1991年は日系ブラジル人にとって日本での出稼ぎがブームで、希望を感じて渡航しました。しかし実際に来てみれば、仕事場で外国人への配慮は何もなく、「ただ働け」という感じ。今のように翻訳された手順書もない。ショックでした。2年で区切りをつけて帰国する時は、飛行機の窓から「さようなら。もう来ないからね」と手を振りました。その後10年くらい経って、もう一度、以前と同じ日系人の受け入れ代理人に会った時に、前回の日本での経験を伝え、今なら良い会社があると紹介されたのがUT。ブラジルでのアルバイト生活も前に進んでいないように感じていたので、それならもう一度、日本に行ってみてもいいかなと思ったんです。

ロサンジェラロサンジェラ

ここに来てからは、環境がガラッと変わりましたね。

ジュリオジュリオ

本当にそう。事業所の人たちは日本の家族みたいに感じるし、現場には翻訳された手順書やチェック項目がある。勤務先の工場の社食には、メニューにブラジル料理もあって、日系ブラジル人の間で話題になったこともありました。

ロサンジェラロサンジェラ

私たちが一緒に暮らし始める時も、当時、社宅になかなか空きがなかったのに、新しい部屋を手配して引越しさせてくれました。病院に行く時も、管理者が付き添ってくれます。

ジュリオジュリオ

ロサンジェラとはずっと同じ工場ではたらくことができていて、今は僕が運転する車で一緒に通勤しています。彼女は運転免許がないから、仕事が遅くなる時は、先に帰った僕がもう一度迎えに行くこともあります。10年ほどで、新築の一戸建ても買うことができました。今は私たちにとって、理想的なはたらき方ができています。

ロサンジェラロサンジェラ

日本に来るのは不安だったけれど、今思えば、人生でいちばんいい選択をしたと感じます。

ジュリオジュリオ

そうだね。僕に出会えたからね(笑)。工場の送迎バスの停留所でよく一緒になって、とてもきれいな人だと思っていました。僕から声をかけて話すようになったけど、彼女は最初、冷たかったんです。

ロサンジェラロサンジェラ

悪い人じゃないかと疑っていました(笑)。日系人っぽくない顔だし、髭ももっと伸ばしていて、ちょっと怪しかったんです。

ジュリオジュリオ

話すうちに僕はどんどん好きになっていきました。実は故郷もすぐ隣の町で、すごく近くで生まれ育った2人が、こんなに遠くの日本に来て知り合ったんだねって。お互いのひいおじいさんの出身も同じ熊本なんてす。

ロサンジェラロサンジェラ

運命を感じました。出会って1ヵ月後には一緒に暮らすことにして、それからずっと一緒。もう20年が経ちます。

ジュリオジュリオ

これから先もずっと日本で暮らすつもりです。定年になったらキャンピングカーを手に入れて、目的地も決めずに2人であちこちへ出かけよう。お互いのルーツでもある熊本にも行こうなんて話しています。